ISBN:4344007387 単行本 幻冬舎 2005/01 ¥1,365

この本と、
『卒業式まで死にません―女子高生南条あやの日記』を
立ち読みで半分ずつぐらい読んだ。
今の私にそれらは半分ずつでも過剰摂取感が否めない。
両方とも、ちゃんと読みたい本なんだけど。
時機を見て、追々。

特にこっちを後に読んだせいか
(そして著者が自分と同年代だったからか)
急激に自己回想モードに入ってしまった。

以下、イタい文。(いつも通りとも言う。)

少し前まで、セックスをするために知り合った人に
私は本名を名乗っていた。
それは浅はかで危険な行為。
実際危険な目に遭ってからは、流石に偽名を使うようになったけど。

風俗で働いていたのだから、偽名を名乗るということにも慣れていたし
それは何ら抵抗もないことだった。
なのに、風俗勤め前・中・後と、個人的に知り合った相手には
本名で通し続けていた。

今思うとそれは、「私を見て!」というベクトルの迷走した
自己顕示欲だったのかもしれない。
セックスというものに、私でも自分を表現できる唯一の手段と盲信して
しがみついていた証拠かもしれない。
自虐の手段だった風俗勤めも、
どうすればより自分を表現する術を高められるのかともがき続けた
「自虐と実益を兼ねた」行動だったのかもしれない。

以前はとにかく、誰でもいいから私を顧みて欲しかった気がする。
人付き合いを持続させられない自分、寂しがりかつ一人好きな自分が、
お互い手軽に使い捨てられる軽薄な関係性の中だったからこそ
「私のことを見て欲しい…」なんて重たい欲望を差し挟むことができたのだろう。

若かったんだな。
とは言っても、こういう思想の下の行動ってたぶん十代がやるから
(ある意味で)許されることであって、
二十歳過ぎて二十代半ば近くまでこんな有様だった私は、
成長期にいろいろと成長を拒んできたツケを払わされたのだろうけれども…
とにかく、無様だ。

今は昔からのそういう知り合いに本名で呼ばれると、イライラする。
私を侵すな、とか、そんな感じ。
わがままだよなぁ。

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