『不快感を自由に覚える権利は誰にでもある。
とすれば、

ひとに不快感を与えることを極度に抑えようとする行為は、
ひとの幸せを奪おうとすることとイコール、なのかもよ。』

ある人がメールで言った言葉。(許可無く引用すみません。)

不快が幸福な状態である人、また、
幸福ではないにせよ不快感を何らかの糧・エネルギーとして必要とする人、
たしかにいるのかもしれない。
今までそんなこと、考えたこともなかった。視野狭窄。

そういった人から「不快になること、不快感を覚えること」を
奪う権利など、私にあるはずはない。

…ますます難しくなって。
…なおいっそう手も足も出せなくなってしまったけれども。

でも、忘れてはいけない真実だ。

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