つれづれひねひね。

2005年4月11日
そこに恋愛感情などは存在せず、
会うのも3年に2回ぐらい・
メールするのも1年に3回ぐらいっていうある知人が
「貴方の生活を良い生活に変えてほしい」と
何年も飽きること無く言い続けているのは、
何故なのだろう。
その行動の動機にまつわる、質量問わぬ説明を与えられたことが無い。
自分の周りに邪なるもののが在ることが許せないのだろうか。
でもそれなら、縁切ればいいだけの話で…。
敬虔な"「良い生活」教"の信者なのだろうか。
もしかして…何やら可哀想な女に見えているのだろうか。
わからない。積年の謎。

そもそも、「良い生活」って何なのだろう。
何をもって良いとするかは、言わずもがな人それぞれではあるだろう。

今の私の生活は、私の標準に照らし合わせても確かに良いものではない。
けれども、私を、何らかの私欲充足のために都合良く扱いたがった人々からは
「良い生活」と合格点をもらえるだろう。

私欲と言えば。
先に書いたそれは、まぁ9割9分方、性欲。
だけど、私には伺いしれぬ理由により私の更正?を願う行為も、
何某かの私欲を満たすがためのこと、かもしれなくて。

賛同しようが無い誰かの私欲によってダイレクトに生活を変えられてしまうって、
有りなのだろうか?私はどこまでも腑に落ちないけれど。癪だもの。
それは私自身が志向していた、賛同する気が無い誰かの私欲を利用して
生活を(暗雲立ち込める方角へ)変える、とは、似ても似つかぬものであり。

そう言えば、丁度一年前に出遭ったストーカーは、
支配欲という私欲のために私の生活も思考も人格も、
改造しようとしていたな、と。

そんな思い出を胸にしまったひねくれ者なんだ。
種も仕掛けも無い善意の忠告だったら、ごめんね。
素直に聞くことすらできなくて。

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