昨日の文に書いた「男」との関係について。
何故己はそんな不毛な関係に囚われるのか。

・政治的な理由
・人格を求め合わない時間の気楽さ
・寂しさへの敗北
・出来心、ヤケ
・自虐趣味

ひとつめは…まぁ、いろいろ有るような無いような。

ふたつめ。有機的なものが微塵も感じられない極めて無機的な時間は、
私にとってある種の抗えない魅力を備えている。
付け加えて。
自分が物として消耗されたい欲も有るんでしょうな。
消耗の先に、「赦し」が在ることを薄ら望んでいるのかもしれない。
何からの赦し?わかりませんが。

みっつめ。一時の寂しさとか恐怖とか、そういうものが入り込む隙間を
埋めてくれるなら誰でもいいや、という。
依存症体質な私は、ひとつボタンかけ違うと
セックス依存症なるものにすっとーんと陥ったりもする訳ですが、
セックスそのものにははっきり言って興味が無いのですよ。
もしかしたらそこで得られるかもしれない、
己以外不可侵の脳内妄想の手助けになるような副産物が目的。(ヤリ損多し。)

よっつめ。生きてりゃ誰にでも起こりえるでしょう、ひとつふたつは。
それがやけにいっぱいあるだけの違い。(…大きいな。)

いつつめ。「こんな男にヤられちゃってる自分」というシチュエーションに
興奮することもあったかもしれない。(何様だ。)
肉体的にというよりもむしろ、精神的に。
ある意味ひとりSM。己が己に対してSとなり、Mとなる。

これでも、居候生活終了後はかなり品行方正な生活送っておりますのよ。
そのための、棲家が泣く子も卒倒するほどのゴミ溜めですもの。
でも、またいつ不幸に向かって尻尾振り出すか、この女のことはわかりません。

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