手持ちのCD群見られるのって、結構な羞恥プレイですわね。

実家にて、昔買って、その後遺していったCD漁っていたら、
「CISCOの言いなりテクノの山」と
「ROCKIN’ON JAPANの言いなりJ-POPの山」でしたの。

前者。
「ele-king」創刊の頃で、結局、
「電気GROOVEの言いなり」やら
「石野卓球の言いなり」やら
「野田努の言いなり」やら、
そこから脱せなかったらしく。
(→ソレらは殆ど持ち出し済。)

後者。
「渋谷系」(嗚呼ぎゃふん。)全盛期にも被っていた時期。
『エレファントラブ』『神森徹也』『思い出波止場』
『暴力温泉芸者』『Tokyo No.1 Soul Set』...
『FISHMANS』とか『Love Tambourines』とかは持ち出し済み...
そして今何処。聴きたし。
『cornelius』『カヒミ・カリィ』
『SEAGULL SCREAMING KISS HER KISS HER』辺りは、
割と最近まで追い気味続けるも。

何はともあれ。
影響を受ける対象の殆どが文字情報だった故の頭でっかちさ、
価値判断の基準が「力への迎合」だった事っていうのは、
微笑ましくもやはり恥ずかしいんですのよ。

とりあえず、『SUPER JUNKY MONKEY』聴きながら、
ノスタルジィと戯れてみますの。

コメント